園長だより 9月号
つながる命への感謝!~誕生日は何をする日?~
まだまだ残暑の厳しい毎日が続いていますが、子どもたちは、相変わらずパワー全開でエネルギッシュに過ごしています。このエネルギーはどこから湧き出てくるのだろうといつも感心させられるとともに、毎日を命の限り精一杯生きている彼らの姿に元気をもらっています。一人一人の笑顔は周りにいるすべての人々の元気の源ですが、泣き顔や怒っている姿でさえも周りを微笑ましい空気にしてくれます。ただそこにいるだけで周りを豊かにしてくれます。
かなり以前何気なく聴いたカーラジオの内容を今でも思い出すことがあります。あるリスナーからの「誕生日」の意味に関する考えが紹介されたのです。それは、「長い間、誕生日にはどんなプレゼントがもらえるのだろうとワクワクしながらその日を迎えてました。特に、小さい頃にはその思いが強く、あれがほしいこれがほしいと両親にせがんだものでした。ところが、自分が就職して初めて給料を手にした時ふと気が付いたのです。よく考えてみれば、誕生日はつながってきた命への感謝の日であり、『両親への感謝の日』ではないかと気付いたのです。つまり、逆に『両親にプレゼントをあげる日』だと考え、初任給でプレゼントを贈ったのです。それ以来毎年両親へのプレゼントを続けています。」というような内容でした。
なんと素敵な大人に成長したのだろうと感動するとともに、親に対して大したことができなかった自分自身を振り返り、恥ずかしい思いをしたことを覚えています。改めて今の自分を振り返ってみると、今年は子や孫たちからどんなプレゼントが来るのだろうと期待してしまう自分がいます。いくつになっても成長しないことに気付かされる毎日です。子どもたちにとっては、プレゼントをもらうことはごく当たり前の感覚だと思いますが、成長していく過程でやがて自分に命をつないでくれた両親への感謝の気持ちが芽生えてくれたらと考えています。
水戸黄門として有名な徳川光圀も、「誕生日は、最も粗末な食事でいい。この日こそ、最も母を苦しめた日だから。」という有名な言葉を残しています。もちろん、自分の誕生日を祝うこと自体は意義のあることですので、めでたいことではありますが、人類が誕生して以来一度たりとも途絶えることなく、脈々とつながってきていることの意味について考えて見ることも大切なことかもしれません。まさしく今を生きているだけで奇跡的なことなのです。
普段は忙しくて、なかなか「命のつながり」について考える余裕はありませんが、時にはその意味について考えて見ることも大切なことかもしれません。保育園では、毎月誕生会を開き、みんなでその月に誕生したお子さんを祝っていますが、誕生日は、そのきっかけをくれる日なのかもしれません。目の前にいる子どもたちは、みんなオリンピック・パラリンピックの選手たちにも負けないくらいの頑張りで、今日もキラキラ輝く命を生きています。
園長 中村洋志